今、リハビリがにわかに脚光を浴びつつある。これまでリハビリテーションは、わが国の医療の中で必ずしもそれほど高い評価をされてなかったのが事実だ。外科手術の後などで「リハビリでも…」と言われた時代もあった。その「でも…」だったのが、今では、「初めにリハビリありき」に変わりつつある。
先日のNHKスペシャル「戦うリハビリ」が大きな反響を呼んでいる。テレビ画面にいきなり、懸命にリハビリと取り組む“ミスター”こと長嶋茂雄さん(巨人軍終身名誉監督)の姿が飛び出してきた。長嶋さんは脳梗塞のため、4年前、突然倒れた。長嶋さんはまだ不自由なしゃべりで、搾り出すように話す。「(倒れた時)何がなんだか分からなかった。ショックのショック、ショック(でした)」。ショックのくだりは、あの独特の甲高い声だった。
倒れて間もなくリハビリに取り組む。「(リハビリは)自分との戦い。負けたら自分も負け」。2人の理学療法士に抱きかかえられながら4年間ひたむきにリハビリを続けた。「1、2、3、4、……9、10」。声を出してルームランナーの上を懸命に歩く訓練だ。「1日休むと2日分戻ってしまう。リハビリは嘘をつかない」。「いつかは歩けると思っていた。今度は走れるようになりますよ」。
長嶋さんのリハビリにかける気迫と情熱を見ていて、私は半世紀前の長嶋さんの姿がまるでタイムスリップしたかのように浮かんできた。長島さんに私が初めてお目にかかる機会を得たのは、東京・東長崎にあった立教大学のグラウンドだった。私はまだ小学校4〜5年生、長嶋さんは大学に入学したばかりの色白で紅顔の青年だった。
私の父が野球好きで、かつて社会人野球で優勝したこともある、とある会社の役員で野球部長をしていた。長嶋さんの育ての親として知られる砂押邦信立教大学野球部監督(当時)が、その会社の野球チームの投手だった。
小学生の私は、3歳年上の兄と胸をときめかせて立教グラウンドに駆けつけた。その日、長嶋さんが私たちを案内してくれた。長島さんは、“月夜の千本ノック”のせいかどうかわからないが、確か左手に包帯をしていた。今考えると、新人だし、怪我をしていたので、恐れ多くも私たちの案内役を砂押監督から命じられたのだろう。帰り際、砂押さんは言った。「長嶋は良い選手になるからね。とにかく前向きだし練習熱心なんだ」。私は大勢の長嶋ファンの中で、最も古くからのファンであると言うことをかねがね自慢の一つとしている。
その長嶋さんが倒れた、というテレビの一報にはほんとうにビックリした。しかも、長嶋さんが担ぎこまれた病院には知己の医師も少なくなく、早くから“倒れてかなり時間が経過しており相当な重病”と聞かされていた。
世界的な免疫学者として知られる、多田富雄東大名誉教授も脳梗塞で言葉を失った。多田先生は私の地元、茨城県ご出身で、昔からご家族の方々などとも大変懇意にさせていただいている。無論、多田先生とも国際会議に出席した時など何かにつけてよくお会いしている親しい間柄だ。その多田先生が、車椅子で私のところを訪ねて来られ、コンピューター音声で「コレハ弱者ノ人権ヲ守ル大事ナ戦イデス。コノ問題ヲ無視シタラ私タチノ人間性ガ破壊サレマス」と訴えられた。
診療報酬の改定で、それまでは個々の疾患の状況によって臨機応変に行われていた医療が、疾患別にリハビリ日数に180日の上限を設けたことに対する怒りの声である。全国から多くの署名を集めて、180日間で一部の疾患が打ち切られるリハビリ日数制限反対運動の先頭に先生は立っておられた。私たちは多田先生らのこの訴えを重く受け止め、担当医師の判断で180日以降も医療現場でリハビリを続けることを可能にした。

(石川理事長より説明を受ける丹羽代議士)
私は先日、東京・初台の医療法人「輝生会」初台リハビリテーション病院を訪ねた。かねて知己の石川誠理事長が、企業の支援を受けて6年前スタートした病院で、高齢者や障害を持たれた方々が、再び輝いた楽しい人生を送れるようにとの熱い願いを込めてつくられた。今やリハビリ病院の“先駆的存在”であるが、その医療法人の基本理念は「人間の尊厳の保持」を挙げている。一人の人間として尊厳を保ち、その人格や価値観が尊重されているか心掛けており、まず「患者様の満足を得られるか」という判断基準を常に見直しながら病院の運営に当たっているという。
現在、病床数173床、これに対してスタッフは、医師13人をはじめ、看護師、ケアワーカー、理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)ら常勤スタッフは422人。PT、OT、STだけで170人もいる。病棟というケア現場を中心とした医師、看護師らによるチームマネージャー制を新たに導入し、徹底したチームアプローチの推進を図っている。
実は長嶋さんもこの病院に4か月入院し、初めは立つことも話すことも覚束なかったという。
長嶋さんは不死鳥のように見事に回復した。左手が不自由なようだが、話し方もだんだんとしっかりしてきた。リハビリ関係者は、とにかく長嶋さんのリハビリにかける頑張りはすごく、執念すら感じた、という。まさに、月夜の千本ノックを受ける気迫で、その後も4年間、猛烈なリハビリに終始し、リハビリとの戦いは今もなお続いている。
リハビリ熱が高まる中で、昨年秋、地元つくば市で、日本理学療法士協会の全国学術研修大会が開かれた。会場のつくば国際会議場には2日間で延べ2400人の理学療法士らが参加した。
大会の会長、居村茂幸氏(茨城県立医療大学教授)は、大会初日、埋め尽くした全国からの理学療法士らを前に、「高齢者や障害者のためにより良い生活を支援する立場の我々理学療法士が、今後、先端科学とそれを利用した生活への橋渡しという重要な役割を担っていることは間違いありません」と、胸を張った。
今、200万人が“リハビリ”と闘っている。「治療には安静が第一だ」という従来の治療法を打ち破って、救急現場で、脳の復元力を呼び戻す早期リハビリも注目を浴びている。脳とリハビリ…、損傷を免れた脳の一部の潜在力がリハビリによって呼び起こされてくるのだという。リハビリによって、これほどまでも脳を復活させることができるということは、これまで考えられなかったのではないか。
とにかく「諦めないこと」、それが大事だというのだ。辛いリハビリは脳に刺激を与え、やがて、麻痺した手が使えるようになったり、長嶋さんのように歩けるようになったりするケースも少なくないという。今、三大成人病の一つといわれる脳梗塞の対応には、救急病院からリハビリ病院、そして自宅へという、医療連携クリティカルパスを構築することが求められている。更に、今後の医療としては脳梗塞の治療のように医師、看護師、そして理学療法士というコメディカルが大切だ。
今、リハビリを専門とするリハビリ病院は、全国で200足らずだが、こうしたリハビリ熱に押されて、私たち政治家もようやく動き出した。田野瀬良太郎衆議院議員(自民)の熱心な呼びかけもあり、この度「理学療法士問題を考える会」を作った。会長には私が就任し、その他多くの有力議員が参加をしてくれた。おそらく、コメディカルを支援する議員連盟としては初めてのものであろう。
昭和40年に施行した「理学療法士及び作業療法士」によって、身分が確立されてからこれまで法改正なども含めて一度も見直しなどがなされていない。日本理学療法士会の“悲願”は、自分たちが主導でリハビリができる「リハビリステーション」をつくることだ。これは、医療や介護関係者の理解を得なければならないが、今、これほどリハビリが重要視されている時だけに、その悲願をなんとか実現させることはできないだろうか。元気だった時の様な社会生活を取り戻すためにも、急性期から回復期、維持期と連続したリハビリテーションの提供が欠かせない存在となっているからだ。
(丹羽記)