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風窓

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「 風 窓 」(第2回) 2007年11月16日

 米価の下落が続いている。平成18年産米に比べて約8%、60キロあたりで1000円以上も下がっている。食糧法のもとで、計画流通制度がなされていた15年産米が、22,000円台を確保した時をピークに、毎年下がり続け、19年産米は作況指数99にも関わらず14,635円になってしまったのだ。

 「悲しくて涙が出てきそうだよ」。知り合いの稲作農家の主婦は、私にポツリとそうもらした。自分たちが精魂を傾け、汗水流して作った米の価格がこの態では…という、米作り農家の自尊心をいたく傷つけられたその様子に、心が重かった。

  一方で、国民の間の“米離れ”、つまり、消費量の低下が私たちの予想以上に進んでいることも事実だ。毎年10万トン近くも減って、生産調整がなかなか目標を達成できず、20万トン以上の過剰生産が生じている。これに拍車をかけたのが、全農の支払い方法の変更だ。米価下落の一因だとの指摘もある。

  そういえば私も昔は、朝・昼・晩と三食とも米を食べていた時代があった。しかも、そうおかずも無く、味噌汁とお新香、納豆に生卵くらいで、毎食、茶碗に二杯くらいは軽く食べていた。ところが、今日の、私の食生活はどうだったか。朝はパン。昼はカレーライスで米を少し食べたが、夜の会食に出てきたのは蕎麦だった。

  こうした事態を受けた政府・与党は、備蓄水準を適正備蓄水準(100万トン)まで積み増し、34万トンを年内に買い入れることにした。全農の18年産うるち米の販売残10万トン相当量は飼料として処理する事になった。
いずれにしても、米価の下落や米作農家の窮状をこのまま放置しておいてはならず、一刻も早く対策を立てなくてはならない。真面目に減反に協力している農家がメリットを実感でき、20年産の生産調整が全都道府県で達成できるような対策を早急に打ち出すべきだ。

  民主党が主張している「生産費と販売価格の差を埋める」という「農業者戸別所得補償法案」は、一見魅力のある政策に思われがちだが、様々な支払い条件があり、全ての農家が対象とはならない。農業振興に1兆円を確保することをアピールしたが、国会審議の中で積算根拠がなく、単なるアドバルーンだということも明らかになった。

  また、増産を促すと言うことからWTO(世界貿易機関)の「補助金ルール」に違反することも明らかだ。だいたい、関税をゼロにして諸外国から自由に米が入ってくるような制度を採れば、農家は壊滅的な打撃を受けることは間違いない。グローバリゼーションの進む中でWTOを通じて国際間のルールを守らなくてはならないことは言うまでも無い。

  一方、今の品目横断的経営安定対策では、海外からの輸入価格と国内の生産価格の差額を補填したり、価格が下落した場合の影響を緩和する制度があるが、これも申請書類の手続きがあまりにも複雑で、使い勝手が悪過ぎる。早急に農業従事者の立場に立って簡素化し、使い勝手を良くすることが求められる。

  麦も大豆ももっとコストを下げて生産できるよう誘導しなければならない。そもそも我が国の総合食糧自給率は、40%を切っている。主食用米の自給率は100%だが小麦は13%、大豆は、たったの5%に過ぎない。このいびつな形を変えていくよう、バランスのとれた農業生産を一刻も早く実現することが、まさに“食の安全保障”であり、農業再生の道にもつながると考える。

  今後の課題は、やはり米の消費量が減少していることを率直に受け入れ、都道府県、市町村はまず、生産調整の実効性を確保することが必要だ。さらに、麦・大豆といった他の農作物への切り替えを行うことによって、荒れた田畑を無くしていくことだ。

  例えば、落花生やレンコンは価格が悪くないという。落花生は技術的には難しいところもあるそうだが、レンコンと違い、畑で生産できるので、荒れた畑地にはまさに適地適作と言えよう。ただ、地域によって条件が違うので一律に考えることはできないことは言うまでも無い。同じ茨城県内でも鹿行地方のように広大な平地のところでは、野菜、果物生産が盛んだが、米しか作れない地域で、一律に減反調整を行うのは困難と言える。

  日本は石油などエネルギーもなければ食糧自給率も低い。にもかかわらず、「経済大国」と言われている。欧米人などは、「世界の“奇跡”」とも言っている。バランスのとれた自給率の確保は真剣に対応しなければならない問題だと思う。

  私の地元、茨城県は、耕地面積が北海道に続き全国第2位の有数の農業県でもある。ちょうど半世紀前、巨匠今井正監督が、その茨城県の霞ヶ浦沿岸部を舞台とした農村地帯の生活を描写した映画『米』を作り、多くの人たちに感動を与え、内外から高い評価を得た。今も、かすみがうら市の歩崎観音境内には、『米』の撮影記念碑が立っている。その碑には「青い湖のほとり ここに芽生えた米の一生とそれをめぐる人々の哀歓を描き上げたこの映画は…(中略)…育むもの、愛と汗の豊かな稔りでもあった」と刻まれている。このあたりは、霞ヶ浦を一望できる見晴らしのよいところで、映画の中では、地元の祭りの様子や、いまは観光用になっているが、かつてはシラウオやワカサギ漁で活躍した帆引き船が何艘も浮かぶシーンが出てくる。

                         「米」記念碑

                    (写真は歩崎観音境内、『米』の撮影記念碑前にて)

  私にとって、この歩崎の浅瀬は、祖父とよく水遊びをした思い出の地でもある。幾多の困難と闘いながら続けてきた地元、霞ヶ浦の米作農家が、安全でおいしい米作りのために、今の“嘆き”から一日も早く脱出し、喜びと期待を持てるようにすることが、私どもに与えられた使命だと痛感している。私も、米に対する思い入れには強いものがある。                                                         (丹羽 記)

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