11月下旬の連休、私は釧路へ行った。ここ1年余りで、講演の依頼などで3回も出かけたが、真冬日を味わったのは、今回が初めてだ。北端の地、釧路で、急性期医療に取り組んでいる友人が、新たに病院を開設したので「頑張ってほしい」と“エール”を贈りたかった。開設記念の市民講座で、私は、『医療改革の目指す方向』と題して、およそ30分間の講演をした。
他の講演者は、 “神の手”を持つ日本人医師として知られる米国大学の外科医教授など錚々たる顔ぶれだった。がん診療の話などに多くの聴衆は食い入るように聴いていたが、ここでも一番関心を呼んでいたのが医師不足のことだった。
釧路市の人口は19万1千人。医師会に登録している医師は、269人で、市立、日赤、労災病院など公的病院もあるが、救急、小児科、産科は医師不足が深刻で、市長は「市政の最大の課題は、医師を確保することですよ」と、語気を強めた。
同市では医師会が自前で開設・運営してきた休日夜間救急センター(急病センター)を、来年4月から初期救急・二次救急を完全に分離して実施する新たな夜間急病センターへ市が乗り出し、市が施設を開設し、医師会が運営することになったという。医師が足りないからだ。昼間は医師会などの協力で何とかやっていけるが、夜の7時から朝の7時までの12時間、年間120日間、勤務する医師が最低でも3人必要だというのに、まだ1人しかメドが立っていないのだそうだ。「医師を紹介してください。どこへでも行きますから。何しろ市民の命が掛かっているのですから」。病院開院祝賀会の席で、市の担当女性課長は必死の形相でその厳しい実情を訴えた。
医師数は現在、全国で26万人。年に4000人増えているが、地域的な偏在がここに来て社会問題化している。今や過疎地に留まらず、地方都市の中核病院でも勤務医の確保が困難になってきている。人口10万人対医師数の比で、釧路市は211人で、隣の根室市に至っては100人だという。札幌市の300人に比べると確かに地方へ行くほど医師不足が深刻なことが明らかだ。
特に病院勤務医が激務で疲れ果て、いつの間にか居なくなっており、救急医療を引き受ける中小病院が少なくなってきたため、数少ない救急センターに過大な負担が掛かってきているのだ。この地でも医療崩壊が進み、これでは子供を産み、生活すること自体が厳しくなっているのが事実だ。
私の地元、茨城県でも医師不足は深刻な問題だ。小美玉市からは、「国保病院の眼科医が居ないので何とかしてほしい」という悲鳴ともいえる『要望』を受けている。
遅まきながら、政府・与党でこの5月に「緊急医師確保対策」をまとめ、医師の派遣システムや医学部定員の増加などの対策に取り組んでいるが、そもそも医師不足がこれほど深刻になったのは、一つには、一昨年から始まった臨床研修科制度の変更にあると言える。若い研修医師が、大学病院から都会の病院や、地方の評価が高いといわれる病院に集中したため、これまで大学が各地の中核病院に派遣していた医師の引き上げを始めたのだ。
厚生労働省は、医師が診療所を開業したり、病院の院長になったりするには、僻地での勤務や救急・小児科などを選択させることを義務付ける制度を提案したが、結局見送りとなった。職業選択の自由に抵触する恐れがあるなどの問題はあるが、このことは再検討すべきではないか。それと、これらの地域や分野に従事している医療法人には、非課税措置などの“優遇”が必要だ。
また、大都市と地方都市の経済的格差が、医療の分野にまで持ち込まれたとも言える。さらに、若い医師が産科や小児科などを避け、整形などできるだけリスクの少ない診療科目を選択するようになったことも、医師不足の深刻さに少なからず影響を与えていると言う声もある。
釧路の朝は、空気がピーンと張り詰めたように冷たい。郊外の湿原には数十羽のタンチョウヅルが群れを成してたたずみ、やがて純白の羽を広げ、飛び立っていく。厳寒にも関わらず、“最果ての地”は、豊かな自然と温かい人情のあった遠い日々を想い出させてくれるような何とも言えない趣があった。
人生、今や80年、90年時代である。医師たちが、若い時代にこうした自然に恵まれた地で、地域医療に汗を流すことが、将来の医療活動にどんなに役に立ち、豊かな人生につながることか。私は、かつて大学を卒業してすぐに、信州で過した新聞記者の駆け出し時代の体験を省みて、ふとそんな思いがよぎった。 (丹羽 記)

(釧路駅前にて撮影)