師走に入っての、とある日曜日、東京・虎ノ門のニッショーホールで開かれた歳末名物、「女たちの討入り」という催しに出席した。
時は元禄15年12月14日、赤穂四十七士が本所・吉良邸へ討入りし、吉良上野介を討って主君、浅野内匠頭の仇を報いた後、そろって切腹した忠臣蔵は、今でも映画や芝居で何度も上演され、人気を博している。私も、高輪・泉岳寺の四十七士の墓に線香を1本ずつ供えたことがある。
今回の“討入り”は、「NPO法人高齢社会を良くする女性の会」が開催したもので、樋口恵子さん、堀田力さんら、介護の仲間たちが毎年行っている現代版忠臣蔵だ。
私は、いつもは分刻みの日程に追われ、会合に出席しても自分の出番に挨拶だけして帰るということが多いが、この日は介護現場の声をぜひ聞いてほしいという強い要望もあり、他のすべての日程をキャンセルして冒頭から最後までの約4時間と長時間にわたって、じっくりと出席した。
介護従事者は年々増加し、今や100万人を超えている。しかし、これらの人たちの賃金は低く、社会的評価も決して高くないと言われている。NPO法人の方たちは、その待遇改善の “応援団”として、この日、それこそ眥(まなじり)を決して起ち上がったのだ。
日本の介護保険制度は、2000年4月1日、ドイツに続いて世界で2番目に発足した。ちょうど私が厚生大臣在任中に立ち上げた制度だけに、私自身の思い入れも深いものがある。今、ベルギーやルクセンブルグでも開始され、来年には韓国でも導入される予定だ。わが国は介護制度の先鞭をつけた、言わば『介護先進国』と言えるが、私が大臣在任中、介護保険制度実現への道程は順風満帆とは行かなかった。そんな逆風に曝された時、樋口さんらには何かと激励やご協力をいただいた。
この決起集会では、介護現場からの声として、全国から約30人の介護福祉士らが出席し、500人の“浪士たち”を前に、介護の厳しさや、月14〜5万円という低賃金のため、介護従事者の勤務が長続きしないといった切実な現状を相次いで訴えた。「介護の仕事はやりがいがあるけれど、これでは生活ができない」、「みんな辞めていった。自分は乗り遅れた」。介護福祉士やケアワーカー、また、デイサービスに携わっている学生などの真剣な訴えは、いずれもドシンと私の心に響くものであった。

(舞台上で赤穂浪士に扮する介護福祉士の皆さん)
樋口さんらが提唱する緊急提言は、超高齢化が進むわが国において、介護保険制度が、担い手側の崩壊により危機に瀕していることを広く世間に知らせ、介護従事者の賃金を1人月額3万円、上乗せできるようにするため、「介護人材確保緊急措置法」(通称「3万円法」)を時限立法として策定しようというものだ。
確かに、介護労働者が逼迫し、その一方で待遇が劣悪な状況に置かれている事を改善するため努力し、人間の尊厳に関わる仕事をしていることについてはもっと評価しなければならない。私も樋口さんらの行動に大きな声で応援の“エール”を送りたい気持ちでいっぱいだ。ただ、率直に言って現実には、そう簡単に解決策が見出されないこともまた事実なのである。
介護保険制度が、急激に増加する要介護者、保険料負担に追いついていけるかどうかという問題が発生しているのだ。介護保険発足時は、要介護者が220万人、総給付費が3.6兆円と言われたが、7年経った今、要介護者は440万人、総費用は7.4兆円と倍増している。介護職員は2002年の76万人から、僅か4年間で112万人へと増えている。保険料も現役の2号被保険者、65歳以上の1号被保険者とも、すでに4000円を超えているが、今の状況で推移すれば5年後には5000円を超える可能性が高い。
これを国民がどこまで許容できるかどうか。私は負担と給付のあり方を抜本的に再検討する時期が来たと考えている。たとえば家事援助は、実際に1人暮らしでいる老人だけを対象にするとか、軽度の要支援や、要介護認定1または同2の方については、地域支援事業とどう関連付けていくかといったことも課題である。
今、若年世代の収入や生活の格差が拡大傾向にあることも気がかりだ。グローバル化、情報化、経済効率性優先などという大きな潮流の中で、若年世代も高齢者同様に二極化しつつあるという。決められた住居を持たず、ネットカフェなどで寝泊りする「ネットカフェ難民」のほとんどが、20歳前後の若者で、フリーターやニート、パートなどの非正規労働者だと言われている。若い世代のネットカフェから高齢世代の青いテントへ、というような社会が許されてはならない。
若年層の格差が固定化されたままでは、わが国にもやがてアメリカ同様の「格差社会」が到来しかねない。若者が貧しさから這い上がれることができる公平な社会でなければならない。
この日、私は、シンポジウム「いよいよ政治の出番です」で、舞台上での討論会に出た後、再び客席に戻って、「お待ちかね、討入りです」を食い入るように見た。プラカードを持った高齢の女性たちが、赤穂浪士同様に白いハチマキを締めて「介護は待ったなし」「介護する者が幸せでなければ、介護される人も幸せになれない」などと次々に訴えた。
私はNPO団体の勇気ある行動力を讃えるとともに、介護現場の切実な声を聞いて、強い寒風が吹き荒ぶ中、足取り重く帰宅した。我々も、決して手をこまねいているわけではないが、介護に情熱を捧げる若者たちが、もっと報われ、少しでも多くの希望が持てるようにすることが私たちの大きな使命であると改めて痛感した。
(丹羽 記)