新年の初めは、まず動物の話から始めたい。人間とのお付き合いでは、とかく煩わしい事も多々あるが、自由気ままな動物には、余計な神経を使うこともなく癒される。そこで趣をグッと変えてネコの話を一題。
先日、あるパーティー会場で、地元土浦市のSさんが嬉しそうに携帯電話の待ち受け画面を見せてくれた。「やあ!」、写真の主とは久しぶりの“ご対面”だったので思わず、こちらの頬も緩む。
昨年、妻が近所のレストランの前に置かれていた捨て猫を預かってきた。しかし、なんとも多忙な私たちには、飼う余裕はない。誰かこのネコを預かってくれる奇特なご仁はいないかと知り合いや友人など、あちこち手を尽くして捜した結果、最後に、Sさんが引き取り手になってくれた。
Sさん宅では、既に5匹のネコを飼っていたが、Sさんの奥さんが、妻の願いを聞いて引き受けて下さったのだ。待ち受け画面の主は、成長したあの捨て猫だったのである。

(昼寝をする“一心”)
ネコには、私が昨年2月の訪中前に、DVDで改めて見たNHKの連続ドラマ、「大地の子」の主人公の名を拝借し、“一心”と名付けてもらった。一心も私ども夫婦も、優しいSさんご夫婦のお気遣いにより、本当に救われた。一心は、今や、Sさん宅のネコの中でも兄貴格で元気いっぱいだという。
人間も年を取ると我が人生を振り返り、内心、忸怩たる思いもあってか、やたらと格言や訓話めいたものに関心が出てくる。そこで、人間として、あるいは政治家として慌しく過ぎ去った日々の中での様々な出会い、別れ、ふれあい、私の心にそっと残ったそんな縁(えにし)を書き綴り、小冊子にまとめた。
題して『われらが日々』とし、その中でも野良猫に愛情を注ぐ妻たちのことを取り上げた。その「野良猫様」の一文が、友人達の間で話題となった。もう一つ味気ない現代社会の中で、誰しもが野良猫に対する思いやりを持っており、野良猫に癒しを求めているからなのだろうか。
そんな折、私の手元に作者不詳の“犬の十戒”という戯れ文が回ってきたので、私は、その返句の意味を込めて“野良猫の十戒”をまとめてみた。あまり深読みせず、サラリと読んで頂きたい。
“野良猫の十戒”
一
私がどうして野良猫になったか、私にはわかりません。
でも、いまのほうが誰からも束縛されることなく気ままなのです。
どうぞ、私を家に連れ帰って飼おうなどとはおもわないでください。
二
あなたが、私のことをどう呼ぶか、あなたのご自由です。
「ミーちゃん」でも「子虎」でも結構です。
私は、あなたがなんと呼んでいたか覚えています。
三
私には、可愛い首の輪をかけたり
きれいな洋服をつくってくださらなくて結構です。
私は、そんなこととは無縁の世界で、ずっと生きているのですから。
四
私が他の人からえさを貰っていても
決して妬きもちをやかないでください。
私は、あなたの飼い猫ではないのですから。
五
私の姿をしばらく見なくても
心配したり、捜したりしないでください。
私は、あなたが不在でもたくましく生きていますから。
六
時たまで結構ですから、私に接する時は
愛情をもって接してください。
間違っても虐待などはおやめください。
私にも尊厳がありますので。
七
私も、時には歯をむき出して仲間と喧嘩することもあります。
でも、あなた方の喧嘩と違って
いつまでも恨んだり悔やんだりはしません。
八
たとえ、寒さが厳しくても、土砂降りの雨でも
決して心配をなさらないでください。
私は樹木の下で雨を凌ぎ
寒い日は、ヒーターボックスで暖を取ることができますので。
九
私も、あなたとともに老いていきます。
ですから、逃げ足が遅くなっても、決していじめないでください。
あなたと同じように、私も足腰が弱っているのですから。
十
私は、いつの日か、あなたの前から姿を消します。
どうぞ、私の老後のことは心配ご無用です。
でも、私は、あなたがいなくなったら
きっと寂しい想いが募ってくるのでしょう。
(悠童)
この野良猫の十戒、わずか30分で書き綴った駄作である。ただ、私は、この野良猫の中にある、真摯な生き方、煩わしさを避けたい時の他人との接し方を、少しでも汲み取って頂ければ…との思いがちょっぴりある。
そういえば、夏目漱石の長編小説、『吾輩は猫である』の“吾輩”のモデルになったのは、実際に夏目家に飼われていた野良猫で、このネコも、小説の有名な書き出し通り、「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。」だった。
だが、人間の生き様を冷静に観察したり、文芸に通じており、哲学的な思いにふけったりする知性派だ。人間の内心を読むこともでき、“吾輩”は人生を達観している。「吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。」で終わるのだ。
漱石が、ネコが亡くなった際、親しい人たちにネコの死亡通知を出し、墓を造った話は有名だ。
『作家のネコ』(平凡社刊)という本によると、昔の作家には猫を溺愛し、猫の登場する作品を書いた人も少なくない。谷崎潤一郎、大仏次郎、内田百閧オかりである。
『ノラや』の著者、内田百閧ヘ、ノラの失踪以来、風呂にも入らず、顔も洗わなかったそうだ。「いつまでも涙が止まらない。寝る前、風呂蓋に顔を伏せて、ノラや、ノラやと泣き入った」と書いている。飼い猫がいつの間にか“放浪の旅”に出かけてしまった。恋女房に突然、何の理由も知らされずに出て行かれた夫のように放心状態だったというのだ。
また、大仏次郎の家には、いつでも10匹以上のネコが居て、「来世というものがあるかどうか僕はまだ知らない。仮にそれがあるならば、そこに地球のようにネコが居てくれないと困ります」と『ネコのいる日々』などに書いている。
寒さ厳しい夜遅く、妻は、マンションの近くにいる野良猫のことを案じ、「今日はまだミーちゃんに一度も会っていない」とか、「雨が降って濡れてかわいそうだ」と一人傘をさして餌をやりに外出したりする。私も散歩していると塀の上に寝ている猫を見て、ちょっぴり幸せ感を抱きながら、野良猫を観察している。
最近は、Yシャツネームにすべてネコのマークが入っている。
(丹羽記)